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[県北]福島市・二本松市・伊達市・本宮市・桑折町・国見町・川俣町・大玉村[県中]郡山市・須賀川市・田村市・鏡石町・天栄村・三春町・小野町・石川町・玉川村・平田村・浅川町・古殿町[県南]白河市・西郷村・泉崎村・中島村・矢吹町・棚倉町・矢祭町・塙町・鮫川村
[相双]相馬市・南相馬市・広野町・楢葉町・富岡町・川内村・大熊町・双葉町・浪江町・葛尾村・新地町・飯舘村[いわき]いわき市
福島市のご当地グルメ「ふくしま餃子」は、フライパンに丸く並べて焼くのが特徴の「円盤餃子」です。きつね色の焼き色と、パリパリした食感、そして香ばしいニンニクの香りに、ついつい箸が進みます。
菊の花を摘芯することによって枝分かれさせ、1本の茎から千もの花を咲かせる文字どおりの千輪咲です。摘芯を繰り返して花芽を増やしていき、最終的に円形のドーム型に形を整えていきます。一般的に500個以上のものを大多輪(千輪咲)と呼んでいます。
渋柿を硫黄で燻蒸して乾燥させる独特の製法で作られます。単に干しただけの干し柿は、乾燥して黒く堅くなります。これに対してあんぽ柿は、半分生のようなジューシーな感触で、羊羹のように柔らかいのが特徴となります。硫黄は乾燥中に揮発するため毒性はなく、カリウム、ビタミンなどの栄養素を豊富に含んでいます。
福島県のほぼ中央に位置し、古くから交通の要衝であったことから、本宮市は「福島のへそのまち」として県内外に発信しています。全国各地で「へそ」「中心」「まんなか」を名乗る自治体による「全国へそのまち協議会」に“福島のへそのまち”として本宮市も加盟しています。
標高863.1mの半田山山頂を目指す登山道に半田沼がハートの形に見えるビューポイントがあります。半田沼は農業用水のため、ハート形に見えるのは期間限定(5月~11月)で、最近では恋人とハートレイクを見ると幸せになれると評判の縁結びスポットとしても話題を集めています。
国見バーガーは地元名物のサバの味噌煮をトマト、レタス、玉ねぎと一緒に挟んだハンバーガーです。意外な組み合わせと思うかもしれませんが、ひと口食べるとあら不思議。サバの味噌煮とふっくらバンズ、フレッシュな野菜が見事にマッチして、クセになるおいしさです。
コスキン・エン・ハポン(CosquinenJapon)は、川俣町で毎年10月に開催されるフォルクローレの音楽祭です。昭和50年にアマチュア13グループで始まった音楽祭は、平成14年から3日間の開催に拡大されるほど参加者が増え続け、現在では国内外の一流のプロも参加するなど、国内最大級のフォルクローレ・フェスティバルになりました。
三日月の滝は、杉田川渓谷にある大小48の滝の一つで、遠藤ヶ滝の少し下流にあり、扇型の見事な広がりを見せています。風景写真家や滝愛好家の間で人気の滝で全国から人が訪れています。
安積疏水は、水利が悪く不毛の大地だった郡山の安積原野に猪苗代湖からの水を引いた大事業です。3年を費やし、明治15年8月、幹線水路の延長52km、分水路78km、トンネル37か所、受益面積が約3,000ヘクタールという安積疏水が完成しました。 日本三大疏水の一つで、疏水路長は500kmにもなるこの安積疏水は、疏水百選にも選出されています。
松明あかしは、須賀川市で420年続く火祭りで、日本三大火祭りの一つにも数えられます。伊達政宗の軍が、須賀川城の二階堂氏を攻め滅ぼした際の故事に由来し、長さ10m、重さ3トンもの巨大な松明が市内を練り歩いた後、会場の五老山(翠ヶ丘公園内)に立てられ、火が灯されます。
あぶくま洞は、田村市滝根町にある大鍾乳洞で、日本六大鍾乳洞のひとつにも数えられています。約8,000万年かけてつくられた大自然の造形美が美しく、メインホールの滝根御殿は高さ29m、広さ1,000m²にもおよぶ空洞で見る人を圧倒するほどです。
鏡石町の田んぼアートは、図書館の展望室から観覧できることから「窓から眺める絵本?もう一つの図書館?」というコンセプトで、童謡・童話・唱歌シリーズから毎年テーマを選出しています。福島の「復興(福幸)のシンボル」として、町の主要作物であるお米のPRと観光業が連携して田んぼアート事業を展開しています。
全国自治体で唯一、「米・食味分析鑑定コンクール国際大会」において、9年連続で「世界一」に輝いたのが、天栄村のお米です。2019年も金賞を獲得し、10度目の受賞となりました。天栄米は、無農薬・無化学肥料のコシヒカリで、漢方肥料を活用しているのが特徴です。食べたときの甘みと、冷めても粘りと香りが残るのが特徴です。
石都々古和気神社の狛犬は、石川町出身の石工・小林和平が昭和5年に造立した作品です。小林の作品のなかでも本作品は、飛び跳ねる構図をとる所謂「飛翔狛犬」で、石造狛犬としては他に類を見ない形態をとり、その卓越した彫刻技術による本作品は全国的に評価されています。
玉川村の特産品「さるなし」は、あまりにも美味しくて猿が直ぐに食べてしまい、無くなってしまうのでこの名が付きました。本来は「コクワ」の実で、ビタミンCがレモンの10倍、ビタミンB1も豊富なスーパーフルーツです。果実の味はキウィフルーツに似ています。
ジュピアランドひらたは、平田村にある森林公園です。25万株もの芝桜で知られ、開花時期には「芝桜まつり」が開催されます。25万m²の広大な敷地にハイキングコースやバーベキュー場などがあり、日帰りでも楽しめます。
浅川の花火は、江戸時代から続く福島県内最古の歴史を持つ花火大会といわれ、仕掛け花火「大からくり」や城山の頂上で花火が地上で開く「地雷火」など個性豊かな花火が名物となっています。浅川の花火クライマックスを飾る「地雷火」は、町を見下ろす城山公園で打ち上げられます。
古式の盛装をした武士が、馬を駆けさせながら3つの的を矢で射る伝統の神事です。起源は古く、およそ800年前の鎌倉時代より始まったと伝えられています。人馬一体の武技は、今も昔も変わることなく受け継がれています。
エドヒガン系の紅枝垂桜で、大正11年10月12日、根尾谷の淡墨ザクラ・山高神代ザクラなどとともに国の天然記念物の指定を受けた名木です。日本を代表する桜の巨木で、日本三大桜の一つに数えられ、岐阜県の淡墨桜とともに東西の横綱に位置づけられています。樹齢は1,000年以上といわれ、樹高は13.5mの巨木で、その姿は圧巻です。
アイスバーガーは、30年以上前から小野町内の地元では知る人ぞ知る昔懐かしの味です。香ばしく焼いたバンズに冷たいアイスを挟んだおやつです。現在は、小野町商工会青年部が主体となり、「おのまち小町アイスバーガー」と命名し、ご当地グルメとして町内外に広く発信しています。
白河市のシンボルである小峰城では、東日本大震災により崩壊した約7,000個の石材を、伝統的な石積みを基本に修復を行いました。平成30年に全石垣の修復が完了し、三の丸の一般公開も再開されました。
新白河駅は、福島県西白河郡西郷村字道南東にある、東日本旅客鉄道の駅です。東北新幹線と、在来線の東北本線が乗り入れており、接続駅となっています。日本の新幹線の停車する駅としては唯一、村に所在します。
泉崎国際サイクルスタジアムは、日本の自転車競技場および競輪場で初めて国際自転車競技連合(UCI)による設計基準を満たしており、1周は333.3m、最大カント(最大傾斜角度)は38度で、中間カテゴリのUCI公認による大会が開催可能となっています。平成10年には全日本自転車競技選手権大会の第1回大会が開催されました。
中島村の汗かき地蔵は『事変が起こる際には五体から汗をかいて知らせてくれる。』という言い伝えがあり、災害が起こる前にお地蔵様が汗をかいて、住民に教えてくれると言います。言い伝えでは、お地蔵様が汗をかいた後に村に伝染病が流行したとの話もあり、明治維新前には東北各所からも多くの人が訪れていたそうです。
矢吹町には、「行方野」と呼ばれていた大原野がありました。明治16年には、宮内省管轄の御猟場となり、主に「きじ(雉)鳥」狩猟の猟場として賑わい、各宮様や国内外の名士らが次々と訪町したという史実があります。また、矢吹町では昔、結婚式などの晴れの日に隣近所の人を招き「きじそば」が振る舞われ、みんなで祝ったといわれています。
元和8年に棚倉藩に5万石で入封した丹羽長重は、それまでの山地の城を避け棚倉盆地の中央にあった都都古別神社を遷宮し、その跡地に江戸幕府の許可を得て棚倉城を寛永2年に築城しました。異名の亀ヶ城は、濠に大亀が棲んでおり、浮かび上がって姿を見せると決まって殿様が転封になるという言い伝えによるといいます。
矢祭山公園は奥久慈県立自然公園の南端に位置し、奇岩怪石の多い地形から「東北の耶馬渓」とも呼ばれています。春は桜、山桜、三つ葉つつじ、赤い山つつじが山全体を彩ります。秋の紅葉も素晴らしく、水戸光圀や西行法師がその美しさに感銘をうけ、歌を残しています。
塙町では、ダリアを町の花として大事に育ててきました。今では県外にも出荷される特産品のひとつとなっています。温泉宿泊施設『湯遊ランドはなわ』に隣接されたダリア園では、8月から10月末までの開園期間中、『はなわのダリア祭』が開催され、ダリアをテーマとしたイベントが町中で催され、塙町全体がダリア一色に包まれます。
鹿角平天文台は、標高708メートルの位置にあります。施設は草原が広がる丘の上にあるため、周辺の人工の光の影響を受けることがなく、360度の視界が開けていることから、絶好の天体観測ポイントとなっています。
会津さざえ堂は寛政8年に会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5mの六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう) 」。上りと下りが一方通行の二重螺旋構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界でも珍しい建築様式で、国重要文化財にも指定されています。
ラーメンや酒どころとしても有名な喜多方市では、4,000を超えるほどの蔵が現在も欠かせない暮らしの一部として存在しています。白壁、黒漆喰、レンガなどの種類に富んだ壁や、精巧な扉の技巧など、個性豊かな表情で見るものを楽しませてくれます。
平成28年にミシュラン・グリーンガイド1つ星に認定されました。正確には「五色沼湖沼群」と言い、数多くの湖沼の総称となります。5つの沼というわけではなく、様々な色彩を見られることから「五色沼(ごしきぬま)」という名前がつきました。色が異なる要因は、天候や季節、見る角度、水中に含まれる火山性物質などによると言われています。
「一生に一度の願いは3年続けてお詣りすれば、どんな願いも聞きなさる野沢の山の神様」として、県内はもちろん新潟や山形一円から、厚い信仰が寄せられている大山祇神社。宝亀9年の創建と伝えられ、御祭神は大山祇命、岩長比売命、木花咲耶姫命の親娘三神。それぞれ山・水源・水利の守護神、長寿の守護神、良縁・安産の守護神としてあがめられています。
磐梯町の慧日寺は、今からおよそ1,200年前、南都で法相教学を学んだ後に都を離れ、理想の修行の地を求めてはるか東国へと錫を振った稀代の学僧「徳一」によって開かれた寺院です。創建以来、長く会津仏教文化の中心的役割を担ってきました。明治の初めに廃寺となり、昭和45年に寺跡は国の史跡に指定されました。
全国第4位の面積を有する猪苗代湖。猪苗代観光遊覧船では、四季折々に変わる磐梯山の雄姿を眺めながらクルーズを楽しむことができます。ユーモアたっぷりの「かめ丸」と、「はくちょう丸」のコースは長浜を出発し、翁島巡りをして長浜に戻ってくるというもので、雄大で広大な自然を遊覧船から眺めることができます。
昭和27年2月に福島県会津坂下町で「冷やしラーメン」が誕生しました。冬に食堂を訪れた、風邪のための高熱で食欲のなくなった女性にラーメンの麺を水で洗って食べさせたのが発祥とされています。
「米と文化の里」をスローガンに掲げる湯川村は、東西南北およそ4キロ四方の福島県でもっとも小さな村で、その面積の6割は主産業である米(田んぼ)が占めています。すり鉢状に広がる会津盆地。四方の山々から湧き出る様々な源流の水は、湯川村に集まり、その豊かな水が米づくりに最適な土壌をつくりあげています。
あわまんじゅうは柳津町を代表する和スイーツです。あんをアワの実ともち米で包んだシンプルなお菓子ですが、黄色いアワのぷちぷちした食感、もち米の柔らかい口当たり、あんのほどよい甘さが相まって、多くの観光客を魅了し続けています。
会津桧原駅-会津西方駅間の阿賀野川水系只見川に架かる全長174mの橋梁です。只見川に架かる只見線の鉄道橋の中で、唯一のトラス構造アーチ橋であり、三島町特産の桐の花と同じ薄紫色に塗装されています。また、只見川を一跨ぎする本橋梁が水鏡となって川面に写る姿や、只見川の水面から川霧が立ち本橋梁を包む幻想的な景観が素晴らしいと言われています。
霧幻峡とは、奥会津地方、金山町と三島町にまたがる只見川沿いの渓谷のことです。夏の朝晩に渓谷を漂う川霧があまりにも幻想的なため、いつからかそう呼ばれるようになった俗称で、普通の地図には記載がありません。山間部や高原に行くと朝靄や山霧はよく目にしますが、川面に漂う霧はなかなか見ることがありません。気象条件によりこの光景が見られるのは年間30日程度といわれています。
地中海沿岸を原産とする宿根カスミソウは「そよ風が育てる」とも言われ、夏季冷涼な気候を好んで生育します。昭和村は高冷地のため、夏でも涼しい環境はそよ風を運び、初夏から晩秋にかけて「満天の星」を思わせる無数の花々を咲かせます。昭和村では、カスミソウ栽培に関連して現在まで様々な農業賞を受賞しています。
日本一大きな梅といわれていて、その大きさは、「ゴルフボールにも匹敵する大きさ」と言われます。高田梅の歴史は古く、地元では昔から各家庭で漬物などにして口にされてきました。実を割ってみると種が小さく、肉厚な果肉です。
古くから豊富な湯量と、大川渓谷沿いの雄大な眺めで知られる湯野上温泉は、会津観光の拠点として湯宿の点在する素朴な温泉街です。日本有数の透明度を誇り、泉質はアルカリ単純泉、神経痛、筋肉痛、慢性消化器病に効き、マイナスイオン濃度も高く、身体の芯から温まることができます。
村人がお伊勢参りの際に見た歌舞伎を、村に伝えたのが始まりと言われており、270年以上の歴史があります。春と秋の祭りの中で神に捧げる“奉納歌舞伎”として、出演者から裏方に至るまで、全てが村人によってこなされている“農村歌舞伎”ですが、その舞台美術や演技の見事さは、完全に素人ばなれしています。鎮守神社の境内にある「檜枝岐の舞台」は、国の重要有形民俗文化財に、「檜枝岐歌舞伎」は、福島県の重要無形民俗文化財に指定されています。
昭和30年代ごろ、只見町には田子倉ダム建設に携わる労働者がたくさんいました。肉体労働に明け暮れて、スタミナ不足の労働者達は口々にスタミナがつく物を食べたいと言いました。そこで、ある精肉店がお昼になると店の前に七輪を並べて味付マトンの焼肉を提供するようになりました。今や只見では「焼肉といえば味付マトン」が常識になり、ソウルフードとなっています。
会津田島祇園祭は、鎌倉時代の文治年間、時の領主長沼宗政の祇園信仰により、この地に祇園の神を居城鎮護の神としてまつり、祇園祭の制を定め、旧来よりの田島鎮守の田出宇賀神社の祭りと共に行われた事が起源とされています。この祭りは古くより『西の祇園社、中の津島社、東の田出宇賀社』と言われ日本三大祇園祭の一つと称し伝えられています。
震災前、全国有数の産地として知られ、その品質の良さにも定評があった相馬市松川浦で、名産品「青のり」の収穫・出荷がようやく再開されました。以前と変わらない滋味深いさわやかなおいしさを是非味わってください。
福島のメジャーなサーフポイントとして、数々の大きなサーフィン大会を行って来た北泉海岸。夏は海水浴客や全国からそのクオリティの良い波を求めてサーファーたちがやって来て賑わっていました。震災後サーフィンが出来ない状況が続いていましたが、地域の方たちの並々ならぬ努力の結果、2019年に9年ぶりに海開きをして、震災後初の大会が開催されました。
『とんぼのめがね』作詞者の額賀誠志氏は、福島県出身の医師です。当時、無医村であった広野村、現在の双葉郡広野町で、内科医院を開業していました。『とんぼのめがね』の歌詞には、額賀氏が往診へ行った際に見た、子ども達がとんぼと遊んでいる様が描写されています。
食べると力がつく家庭料理として地元で昔から親しまれてきたすいとんを、Jヴィレッジに滞在していた当時のサッカー日本代表監督が「故郷のおばあちゃんの味」と評したことから「マミーすいとん」と命名された名物料理です。
国道6号線から夜の森公園に続く道に、樹齢100年のソメイヨシノが並び、見事なサクラのトンネルをつくっています。震災後、帰還困難区域に指定されていましたが、平成30年に一部制限が解除され、富岡町桜祭りも復活しました。
平伏沼は、海抜842mの平伏山の山頂にある、面積12haの小さな沼で、周囲の広大な落葉広葉樹と共に、モリアオガエルの生息を支えています。モリアオガエルの繁殖地として国の天然記念物の指定を受けているのは、全国で岩手県の八幡平大場沼とこの平伏沼の2ヶ所のみです。
ヒマワリを通じて町の復興に貢献することを目的とした「大熊町ヒマワリプロジェクト」が発足しました。沖縄県の「福島・沖縄絆プロジェクト」は震災後、大熊町農業委員会など町関係者と協力してヒマワリの種を交換し、大熊町内と沖縄県内で交互に咲かせています。年々ヒマワリの数も賛同する人たちも増え、復興の輪が広まっています。
顔の周りが太平洋を模した青色で縁取られ、町花でもある桜がちりばめられています。毎年1月に新春恒例のダルマ市が開かれています。縁起物の「双葉ダルマ」は年間を通じてこの時だけ販売され、多くの人が買い求めます。
震災後、放射性物質が作物から検出されたこともあり、風評の少ない花き栽培で復興を担おうと栽培を始めました。町が新たな営農モデルとして、力を入れているのがトルコギキョウの栽培です。浪江町花卉研究会が平成29年に発足し、生産者が増えています。
日本では貴重な公道ロードレースです。日本でも海外のように公道でロードレースが盛んに行われるようにという思いがあるとのこと。コースは葛尾村を中心に設定されており、峠2つを盛り込んだ一周28kmで獲得標高500mのコースとなっています。公道でのレースや二日間行うステージレースなど国内ではなかなか実施されないレースであることもあり、全国各地から参加者が訪れます。
福島県新地町と宮城県丸森町の境に位置する鹿狼山。その標高約430mの山頂を、元旦の早朝に目指します。太平洋から昇る初日の出を目当てに、毎年2,000人以上が訪れます。元旦登山にあわせて“日本一早い山開き”と称し、1月1日午前5時30分から「樹海・眺望コース」の登山口で山開き式を開催します。
東北地方では、昔から「までい」という言葉が使われています。「食い物はまでいに食えよ」「子供はまでいに育てろよ」この言葉には、「手間隙を惜しまず」「丁寧に」「心をこめて」「時間をかけて」「じっくりと」と言った意味が込められています。飯舘村では、大量生産、大量消費の生活を見直し、自然と人のつながりを大切にしたスローライフの“村づくり”を進めています。
フラガールの生まれたまち、いわき市には、隠れたフラスポットや、ハワイアンコンテンツが満載。観光客など、多くの人から「選ばれるまち」となるため、「フラシティいわき」から市内外に様々な「フラ文化」が発信されています。